‡記録 ‡vol.18 Photo vol.96

2005.9

2005.9

川もいいが、山もいい。
岡山へ向かう新幹線から外を眺めてそんな事を思った。

登るべき山と、その山のオリジナリティについて。

最近巷では山登りが流行っているらしいが
この現象もしかしたら如実に現代社会の悩みを
反映しているんじゃないだろうか。なんて、考えてみた。

社会って、一定の自由が許されるその緩さの上に成り立ってる。
同一のコミュニティ内にいたってそこが軍隊でない限りは
それぞれにそれぞれの人生を自分独自の尺度で設計できる
最低限の権利は保障されていて、少なくともこの東京においては
てめぇの人生ってもんに無理矢理介入してくるやつはそうそういない。

だから、ぼくらは自分で山を見つけんとならん。
選択肢が増えた時代を生きる条件として、
まずは登るべき山を選定しないとあかん。

ドライな言い方をすれば、たいがいのやつらは
てめぇの山は知ったこっちゃない。
今は一緒にこの山登ってるが、
その後あんたが登る山のこたぁ知ったこっちゃない。
逆に前向きな言い方をすれば、
おれは今この山登ってる、あんたはその山登ってる、
それぞれが登りたい山に向けて、今この山を一緒に助け合って登りきろう、となる。

とは言えそもそも登るべき山を見つけるってのが
これまた厄介なことだと悩んでいたら、
所持金130円しか持ってないぼくの尊敬する先輩からいい事を聞いた。

色々試行錯誤しながら、あれでもない、これでもないと、
少し登ってはまた下り、少し登ってはまた下り、そんなことしたって
登るべき山は見つかりはしないと。
登るべき山は外にはなくて、中にしかない。自分の中にしかないと。
皮肉なもんで世の中見渡してみりゃこんだけたくさんの山があるのに
でも本当に登るべき山を見つける為にはまずは自分の中で
その山を選ぶ為の要素をしっかりと見つけ出さないとあかんて。

本当に登るべき山ってのは、自分の中にしかない何かしらの要素、
他にはないなにかオリジナルなものなんでしょうね。
ナンバーワンにならなくてオンリーワンで行きましょうとは
良く言ったもので、てめぇが納得いく落としどころは
てめぇの内側の小宇宙を覗いて探しなさいと。

この夏は少し自分との対話を増やして、
登るべき山を見極めてみましょうかと思ったです。

頭の体操、15分。

コメントを残す