‡記録‡vol.3 photo vol.85

2007.11  
養老天命反転地
養老天命反転地

死とか、自殺について。

ひとつ。
Virgin Suicidesが封切りになったのはぼくが高校一年生の春で
当時まだTodd RundgrenとAirの曲の虜にはなってなかったぼくは
単に映画館を出た後、とにかくポカーンとして
皮肉だけどなんか自殺っていう行為で最後を締めくくった彼女たちの人生に
なんかもの凄い強いインパクトを受けた記憶がある。

ふたつ。
ちょうど昨日、新聞に掲載された藤原新也の記事を読んだ母が
ぼくにメメント・モリを貸してくれと言った。
カウンセリングをここ10年ほど勉強している母は、ぼくが小さい頃から
クライアントカルテの日本語タイピング作業をぼくに依頼していた。彼女が打つと
正:「シュタイナー教育」が、誤:「シュテイノー教いっく(変換できず)」とかになる。
30を越えて日本に渡ったネイティブコリアンの母にとって
カタカナ日本語は当時まだかなりの難関だった。それはいいとして
母親がぼくにこの本を貸してくれなんて言うとは想像もつかなかったので、たまげた。
「死を想え」のあの本を母親に本を貸したちょうど後、友人から訃報が届いた。
こういうタイミングって、本当に奇妙である。

みっつ。
最近、自分にとっては大きな決断をしてみた。
3日ほどしっかり考えて、周囲の人間からもたくさんアドバイスを貰った。
一人の友人は、こう言った。
「大事な決断する時は、自分が死ぬ前のことを想像する。
 で、どっちが死に際に後悔しない決断か考えて、決める。」
死を想ってるってことですか、これも。

よっつ。
ぼくは今日、後輩の通夜に参加した。
藤原新也はこうも言っている。
「” 死者の魂” とは、私の心の中に居残っている死者への想い、という風に捉えており
 そういう姿で死者は” それを思う人々の魂の中に生きている “と思っているのである。」

いつつ。
人間はその都度その都度、大小問わず
目標やゴールを決めてはそれを乗り越え乗り越え生きている。
その繰り返しの先には死があることを知っていながら
ただ死の先にはどんな世界が待っているか全く予期できぬというジレンマの中
よくも生きてくれている。ほんとに、よく生きていると思う。
これも、死を想っていることになると思う。

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