Interview : Vol.2 温又柔

温さんは「温」の名の期待を見事に裏切り激アツでした。温どころではない、1時間程話しただけであやうく火傷しそうでしたよ・・・ちょうど台湾から戻られた翌日にお会いしたこともあって話は前日に羽田空港で感じたモヤモヤのお話から。モヤモヤというか、怒りか!

二回目のインタビュー企画です。インタビューというか交信の記録って感じです。極力、そのままで記録したいなと思っています。いろいろとデリケートな部分ありますけど。活字の世界の中で、極力伝わりやすい文章を探しながら。

今回は「台湾生まれ日本語育ち」の著者である小説家の温又柔(おんゆうじゅう)さんに話を伺ってきました。ぼくはこの小説を読みながら、なるほどぼくが小さい頃に感じことのあるたあの経験を、こうして「書く」ことを通じて表現しているひとがいるんだなと(それもものすごい熱量で)感銘を受けたのでした。2016年春先、桜が満開の頃のぼくと温さんの会話の断片を、記録です。

そうそう、このお話を伺ったときドンピシャに桜が満開な時期だったので割とそういうイベントごとが好きな僕は、「せっかくならお花見でもしながらおしゃべりしますか!?」なんて軽いノリで温さんに事前にメールでお誘いしたら「すみません,私実は桜があまり好きじゃないのです・・・」とピシャリと返信。キムはなんだか自分のそういう無神経さが恥ずかしくなりつつも、うーん、どうして桜が嫌いなのだろう?と思いながらお約束のカフェに向かったのでした。話は空港でのモヤモヤの出来事と、桜の話から自然にスタート。

※取材に同行してくれたのはえびしゅーさん。いつもありがとうございます。エビシューさんの活動:Kuriya


温又柔(おん・ゆうじゅう)
作家。1980年、台湾・台北市生まれ。3歳の時に家族と東京に引っ越し、台湾語混じりの中国語を話す両親のもとで育つ。2006年、法政大学大学院・国際文化専攻修士課程修了。2009年、「好去好来歌」ですばる文学賞佳作を受賞。2011年、『来福の家』(集英社)を刊行。同年9月から白水社のHPで「失われた”母国語”を求めて」の連載をスタート。(2015年5月まで)2013年、音楽家・小島ケイタニーラブと共に朗読と演奏によるコラボレーション活動〈言葉と音の往復書簡〉を開始。同年、ドキュメンタリー映画『異境の中の故郷――リービ英雄52年ぶりの台中再訪』(大川景子監督)に出演。

空港での出来事

温 :
おふたりと会えるのをすごく楽しみにしていました。色々あって、わたし、きのうまで台北にいたんです。キムさんもよくご存じだと思いますが日本の空港の出入国審査のときって三つのレーンがある。日本人、外国人、そして再入国者ですね。私のように日本国籍は持っていないけど日本に長期滞在している「身分」ですと、「再入国」の列に並ぶんです。何でそんな話をしたいかっていうと、ちょっとショックな出来事があって。きのうもそうやって「再入国」の列で順番を待っていたら、すぐ隣の列に並んでいた人たちの日本語が耳に入ってきたんですね。ロープ一本隔ててこちらは「再入国」、あちらは「日本人」の列に並んでいるという状態だったんですけど。若い家族連れでした。お母さんとお父さんは三十代半ば、私と同世代ぐらいのひとたちかな。幼稚園児ぐらいの男の子ふたり連れていて。その子どもたちが、たぶん退屈だったのか、ぐずりだしたんですね。そしたらそのお母さんが「いい子にしないと日本にいれてもらえないよ」って言ったんです。一瞬、聞き間違いかと思った。すると「ほら連れてかれちゃうよ、強制送還だよ」って聞こえてきた。冗談めいた口調でね。そしたらお父さんも同じような調子で、「悪い事したら台湾に送り返されるよ」。私、思わずじろりってそのひとたちのこと見たんです。お父さんもお母さんも、どちらかといえば感じのよさそうな、まったくふつうのひとたち。そりゃそうでしょうね、悪いことを言ってる意識はたぶんないんです。「いい子にしないと日本に入れない」「悪い子は台湾に強制送還」。すぐ隣には日本語が百パーセント理解できる台湾人がいるなんて思っていないんでしょうね。かれらは、自分たちのこうした言い方が、すぐ隣にいる見ず知らずの私を不愉快にさせるなんて、一切想像していないんです。日本って、東京って、あいかわらず、こんな日本語が平然と飛び交っている。何だってこんなところに私は帰ってこなくちゃいけないんだろうってすっかりイヤになっちゃった。

桜の話

温 :
しかもちょうど、桜が満開。桜って、私、苦手なんです。以前、『ラストサムライ』という映画があったでしょう。トム・クルーズと渡辺謙が主演の。テレビでいっぱい宣伝が流れてたんだけど、映画を観たひとたちが「感動しました」「日本人に生まれてよかったと思いました」と言ってる。その映画のキャッチコピーというか、宣伝文句が「サムライの遺伝子を受け継ぐすべての者たちへ」だったんです。「遺伝子を受け継ぐ」とか「日本人に生まれて良かった」といった言い方って、私のような立場の立場に対して非常に排他的だなあって当時すごく違和感がありました。でも、文句言うならちゃんと観ておかなくちゃなと映画館に行ったんです。劇中、「最後の武士」を演じる渡辺謙が切腹するシーンっていうのがあって、そのシーンのとき満開の桜がスクリーンいっぱいに映し出されるんです。日米合作のハリウッド映画だけあって、ものすごくきれいな桜。そのとき、桜が大っ嫌いになりました。今回、キムさんが「花見をしましょう!」とお声をかけてくださったのに「それはちょっと」と断ってごめんなさい(笑)。こういう機会だから白状すると、わたしは桜が満開になるこの時期にはいつも情緒不安定になる。桜そのものが憎いわけではない。やっぱりきれいだなあって思う。でも安易に、というか感傷的に「日本人」と結びつけられる桜からは目をそむけたくなる。特にきのうは、「いい子にしないと日本に入れないよ、悪い子は台湾に強制送還だよ」というひどい日本語を聞かされて、「ラストサムライ」を観たり、満開の桜を眺めたりして、「日本人に生まれてよかった」と感動しちゃうのってたぶんああいうひとたちなんだろうなあ、と気が重くなったわけです。

金 :
いやほんと温さんはアツいですよ。そして、渡辺謙さんはカッコいいですからね~ややこしいですね。ぼくは今年も、こうして一年に一度一週間くらいだけ咲いては散る桜って、なんか日本人の死生観を象徴してるんだろうなぁなんて思ったりしてました。その視点はなかった。昨日の方々というのは、背景としては温さんだったりぼくとかある種「日本語育ち」的な、自分のアイデンティティーや母語としての日本語がある人達っていうこと?

温 :
たぶん、そうでしょうね。そうでなければ、あんなこと言わない。日本語を理解するのは自分たちのような日本人だけだと思い込んでいる。でも、かれらの子どもが通っている学校には、親が日本人じゃない同級生もいるかもしれない。自分の親が「悪い子が送り返される国」と言ってた国出身の友だちもいるかもしれない。どういう影響が出ると思いますか? 子どもが自分の頭で考えるようになればればいいんですけど、考えるきっかけがない限り、親の世代の漠然とした意識って、それこそ受け継がれるんですよ。わたしはそれがイヤだ。とても許せない。

金 :
冗談半分で「花見しながら喋るのありですかね?」と誘ったら、「わたし桜苦手なんです」と言われ(苦笑)面白いなって思って。日本の連帯感を感じるシチュエーションって、花見と日本代表のサッカーってわかりやすいなって思っていました。

温 :
まさにそうですね。忘れられないのは、2002年の日韓ワールドカップのときかな。ちょうど日本代表の試合のときに、友人たちと居酒屋かどこかでごはん食べてたんです。大きなテレビがあって、試合前のそわそわした感じがお店全体に広がっていて。店員さんも、他のお客さんも「はじまるはじまる!」と盛り上がっている。それで誰かが「みんな日本人だったら日本を応援しようぜ、おー!」って言い出して。そのとたん、さーっと冷めちゃった。私も日本を応援する気満々だったのに。急にいやになって先に帰っちゃったことがある。私が本当にサッカーが好きならまた別だったのかもしれませんが。ああいうときって、サッカーのことなんかよくわかんなくても、日本人であるというだけで日本を応援する輪に加わって盛り上がれる。ぷちナショナリズムなんていう言い方もあるぐらいですしね。どっちにしろ、「日本人」ではない私は、ああいうとき、非常に居心地が悪くなる。

金 :
「同調」とか「日本とは」てことで連帯することを感じながら生きる一方で、例えばぼくなんか小さいころおそば屋さんで母親とそばをすすってた時、ハングルで母親に隣の人見て「あの人の髪型変だね」とかつぶやいてクスクス、とかまわりにはたぶんわかんないだろなとか思いながらやりとりしたり・・・そんな思い出があります。うちの家族、性格悪いですね・・・ある種「同調」の一方で「特別な体験」というのが自分の中である。逆にそれを支えられて生きて来たというかそれを誇りに感じる部分もあるじゃないですか。それはそれでエゴイスティックだな、同調を否定する一方で自分も特別な思いしているっていう感覚があったりして。その辺はどうですか?

温 :
それは本当すれすれで。私の場合は、子どもの頃というか高校生ぐらいまでは「日本人ではないわたしは人とはちがう、だから劣ってるんだ」という気持ちと「日本人ではないわたしは人とはちがう、だから凄いんだ」っていうのは、いつもせめぎ合ってましたね。劣等感と優越感のシーソーゲームじゃないけど。ただ今の私が思うのは、自分自身が日本人ではないということは、単なる事実であって、それ以上でもそれ以下も無い。要するに、そのことに本質的なプラスの価値もマイナスの価値もない。この事実をどのように引き受けているのか、あるいは引き受けざるを得ないのか、という態度に関わる問題だと私は思っています。
 今の私は、台湾籍の日本語作家という立場で表現をしているので、この位置にいられたからこそ書くことができたものもいっぱいある。そういう意味では、いわゆるふつうの日本人ではない自分を誇らしく思うところもあるんですけど、そういう自分を誇るためにほとんど意地になってふつうではない自分を肯定しようとしてきた過程を振り返ると、未だに非常に腹立たしくなることもある。だから複雑ですね。


台湾生まれ 日本語育ち
著:温又柔 (白水社) 
三歳から東京に住む台湾人作家が、台湾語・中国語・日本語、三つの母語の狭間で揺れ、惑いながら、自身のルーツを探った四年の歩み。「台湾と日本。ふたつの国家の間で、国とは何だろう? 国とはいったい誰のものだろう? と問いながらいつも生きています。個人にとって、国とは何か? わたしたちがあたりまえのように思い描く地図の上に引かれた境界線とは何か? 台湾が「日本」ではなくなった1945年から35年後の台湾に生まれ、その後、日本で育った一人の「台湾人」として、わたしは考えたい。」(本文より)

「伝える」ことについて

金 :
こういう類いの話って、どうしてもメッセージが強く激しくなりがちで。人への届け方・伝え方を工夫すれば全然違ってきますよね。優しいパッケージに包む、というか。面白いですね。

温 :
ほんとにほんとに。たぶん、怒りをね、まるごとぼんっと出したら、その瞬間だけはみんな、ははあってなるかもしれないけど、続かないでしょう。あ、あいつまた怒ってる、また始まった…って、たぶん煙たがれる。聞く耳を持たれなくなったら本末転倒なんです。正しいからって押し付けていいはずはない。そもそも、何が正しいのかなんて、ひとによる。わたしの正しさがだれかを踏みにじっている可能性も無視してはならない。そのうえで、わたしやキムさんが、微妙な位置にいるからこそ感じとれる違和感とか疎外感を、その位置にいない不特定多数のひとたちに伝えたい、届けたい、分かち合いたいと願うのなら、まずは聞き手が耳を傾けてみたくなる工夫をするのは絶対に必要だし、大切なんですよね。もちろん説明しなければならない負担というか、たとえばきのう私が空港ですれちがった人たちに、「良い子じゃなくちゃ日本に入れないという言い方っておかしくはありませんか」ってことをイチから説明しなきゃならないなんて、何と理不尽なのだろうと狂おしくなることもある……でも、だからこそ、こういう怒りや狂おしさを原動力にして、地道に表現を重ねることって大事だと思う。一見、遠回りかもしれないけれど、それがいちばん近道なのだと私は信じたい。だからこそキムさんのこの企画、ずっと続けて欲しいなって思うんです。今好き勝手喋らせてもらってる私が言うのもへんですが(笑)。

なんだろう。こうしてここまで記録をしていても、ちょっとひるんだり悩んだりする自分がいる。こういうちょっと政治的?なことに触れざるを得ないテーマって、うーん。扱うのが難しい。正義って、危険なんだ。危険だと思われるんだと思う。どっちかに偏っていないか?この発言が誰かを傷つけていないか?ってことが気になってしまう。割と最近になってから「日本とは」みたいなテーマに対する見方が昔とちょっと変わって来て。日本は多様なものを抱えているところなんだぞーともっとちゃんと理解したら、なんか変なコト減るのに。って思って。温さんも言ってた。日本人であることに誇りを持ちすぎるってのは危険だって。9割型が日本人なこの国で、その中だけで誇りを持つと日本人ではない人たちが虐げられる傾向に置かれやすいから。ほかをいじめることで自分たちのプライドを実感する人たちが出て来ちゃうから。ヘイトスピーチしているひとたちをハグしてやろうか、とすら言っていたよ。サイコーだぜ!!そのまま流れで、ジョンレノンのレコードをかけながら話しましょうか、みたいな空気でしたわよ。で、またしてもたぶん永遠に話せそうな空気になって来たので話は終盤へ。言語についてのお話。

「言語」について

温 :
赤ちゃんって、親や、いや、親でなくとも親代わりの存在がしゃべっているのを聴きながらことばを覚えますよね。学校に行けば、先生や教科書からも教わるし。同世代の子ども同士で交し合いながらとか。どういうことばに触れてきたかによって、自分のことばはできあがっていく。だからこそ、そのひとがどういうことばをつかうかで、そのひとがどういうひとたちと関わりながら生きてきたのかわかる。

金 :
例えばぼくもある種1970年代のハングルを話す親のもとで日本で育ってきましたから、習得したハングルが少し古風だったりするっていうのを韓国に行った時に「キミ古風だね」と言われたことあります。コトバって生き物なんですね。でも、コトバはその人に自信を与えてくれるなとも感じます。

温 :
まさにそう。自分自身のことばが誇れないという状況はいちばん切ないことです。言語に序列関係はない。どのことばも、それが存在している時点で価値があるはずなんです。英語ができないとだめ、とか、中国語もできるとなおいい、というような言い方は、言語そのものに備わる価値の問題ではない。あからさまに政治とか経済的によるものです。たとえば私が大学生だった頃、中国が経済的に昇り調子だった。「だから中国語がんばんなよ」って言う空気があった。もちろん英語や中国語ができれば行動範囲はぐっと広がるし、人生の選択肢も増える。でも、たくさんのひとに通じる、とか、役に立つから、とか、露骨に言ってしまいえば、お金になるから、という言語だけがもてはやされて、そうではない言語が不当に軽んじられるのってやっぱりへんな話。
私の父が東京に赴任した1980年代初頭は、日本の経済がものすごくよかった頃なんですよね。台湾に限らず色々なひとたちが日本語を学んで、日本で仕事を探そうとした。日本語に経済的な価値があったのです。わたしの親は、わたしの日本語がどんどん上達するのを喜びました。大きくなったら中国語をやり直したいと言ったらやっぱり喜びました。台湾語のことなんか一言も言われなかった。あの世代の典型的な台湾人として、台湾語なんかなんの役にも立たない、と親は思ってたんでしょうね(笑)。大きくなった私が、台湾語まじりの中国語を日本語の文章に織り込んで、それをニホンゴと呼ぶようになるなんて、親も私自身もまったく想像していなかった。政治も経済もないんです、わたしはわたしのこのニホンゴこそが、わたしのことばなんだって思うし、自分にとっての生きたことばだと感じています。

金 :
そんな温さんも日本に住んでリトル温さんが生まれて・・・でまたその先のこどもが生まれて・・・とかとか今後いろいろ受け継がれていくものがあるわけです。そういえば最近「ハーフタレント」とかそんなコトバもありますけど、そういうのもこれからどう変わっていくんだろう。

温 :
ハーフタレントといえば、わたし、アントニーが大好きなんです。マテンロウの。顔はアメリカの黒人なんだけど、お母さんが日本人の日本育ちで、しかもお継父さんはお寿司屋さんで、本人は日本語しか出来ないと公言している。お寿司にめちゃくちゃ詳しくて、この顔だけど英検5級に落ちたんですよ、とネイティブそのものの日本語で言って、そのギャップでみんなを笑わせる。でも、アントニーみたいな日本人がこれからはもっと増えていくはずです。複数のルーツを持ちながら、日本で育つ子どもたちが今もどんどん増えている。顔はアメリカ人だけどことばは日本語、国籍は台湾だけどことばは日本語……こんなわたしたちが、どんどんあたりまえになっていくでしょう、これからは。二十年後三十年後には、アントニーの笑いや、わたしの怒り?が、すっかり古くさくなってるといいなあって思うんです。それぐらい、いろんなルーツの持ち主のひとがのびのび暮らせるような国に日本がなっているといいなあって。そういう願いもこめて、わたしはニホンゴを書き続けたい。こんな話できょうはよかったのかな?(笑)。さっきまで桜に滅入っていたけれど、きょう、こういう話しができて、おかげで元気になりました!

温さんと話ができてよかった。出会いを紡いでくれたかの子に感謝したいのと、こうしてオープンに話をしてくれた温さんにも感謝。温さんが、小説という方法論を採用していることが素敵だ。英語圏の文学には多様なルーツをもった書き手がわんさかいる。日本がもう少しそうなっても良いではないか、と思っている温さんは勇敢だ。ただでさえ、なんだか保守的な印象が強い文学界で「日本語は日本人のものだよね」と主張する人々の力も強い中で、彼女は自分が主張して一番説得力のある方法論を実行しているんだなと感じた。

ここまで書いてみて。なんだか固くなってしまったなぁ、という印象。いやでも、不用意にふざけてもいかんからな。次はちょっと軽いテンションにしよう。温さんとは実際、熱く語っちゃったからな!結構、終始ゲラゲラ笑ってたんですけどね!あまり活字じゃ伝わってないと思うんですけど・・・広告、つまり何かしらものごとを広く告げるための手法を、この領域にちゃんと応用できたら面白いものができそうだ。実験は続く、です。温さん、本当にありがとうございました!次回作楽しみにしています!

コメントを残す