‡記録 ‡vol.44

久しぶりに文章を書いてみたいなと想った。
書き留めてみよう。

人を育てる、ということについて。

ひょんなご縁から短い社会人生活ではありますが
人を育てる側に少しばかり身を置く事になった。

さまざまな立場の教育に対する意見を聞きながら
ぼくの腹の内にある意見を照らし合わせてみると
知らず知らずのうちに自分が描く未来の社会の姿とか
こういう人間が増えたらいいなという像が
自分の想像以上に具体化している事に気付いた。

ぼくはこう、想う。

所属とか環境は度外視して
いろんなひとの”シゴト”というものが
かけがえがなくその人間個体にしか為せない
代替が効かないという意味での作家性
再現不能という意味での芸術性
ちっぽけなシゴトでもデカいシゴトでも
もっともっとそういった性質を帯びたものであったら
少しばかりフワフワしているかもしれないけど
生きがいとか自分の生きている意味とか
血とか肉みたいな身体と精神のつながりを近くに感じながら
世の中の魂たちが活き活きとするんじゃないかなと想うのでした。

8年仕事しながら気付いたんですが
ぼくら東京砂漠のビル群で与えられる仕事たちの中には
残念ながら魂を抜かれてしまった仕事というか
ザ労働みたいなのがわんさかあることに狼狽えるんだけど
それが生まれた原因とか誰が悪いねんとかは
もはや詮索しても生産的なハナシではない気がして
ぼくらはそういう仕事とかザ労働ってのをシステム全体として
抱きかかえて生きて行く運命共同体だと想うんです。

難しいけどぼくは、なんかカッコいいなと想うのは
陰の部分をを抱きかかえるだけの覚悟を持つ一方で
その陰を新しい日差しで覆いかぶせようとせんばかりの
勇気とか努力とか行動で新しいシゴトを想像して
魂が活き活き息を吹き返すような機会を増やして
世の中に陽の当たる場所の総面積を
広げて行きたいもんだなと想うのでした。

えー、なにが言いたかったかというと。
なんだ、少し興奮してしまった。

人を育てるみたいな課題を突き詰めて考えたとき
ぼくがこうあったらいいなと思う美意識に基づいてモノを語るわけで
教育方針というのはぼくが実現したい世の中像と直結しているんだな
ぼくがもっともっとこういうのを体現していこう
って気付いたのでした。ちゃんちゃん。

2015年新年を迎えて、
フランスのエブドの件にしても
イスラム国の人質の件にしても
ほんとに世の中どうなちゃうんだと
今年はとにかくやるせない気持ちになるんです。
これほんとです。やるせないんです。

デカい問題が世の中にはわんさか存在している。
ぼくはぼくでひとつひとつ解決して行くわよ。

Do the right thing の精神で
大きなシステムを内破する力と勇気をもって
教えるとか教わるとか小さな矢印の向きはどうでもよくて
大きな矢印の向きだけを確固たるものと信じて共感して
そういう気概をもって教育というテーマに接して
うん。そうやっていけばいいんだな、と思うのでした。

でわー。

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