◇ 新・幸福論: 「近現代」の次に来るもの ◇

ぼくは、雪が好きだ。

雪

雪は無言を貫き、小粒ながらもしとしと降り続け
ぼくらが眠っている間にちゃっかりシゴトをして
翌朝には見渡す景色一面を純白の世界に変えてしまっている。
モテる男のやり方と言うか仕事人というか
キザなのか寡黙なだけなのか、とにかく美しくカッコいい。

さすがに2週間連続で東京でこんな大雪に見舞われるなんて
ニュースでも報じられているようにとても珍しいこと。

怪我をされたり事故に見舞われた方には不謹慎だけど
都市で生きる人々にとっては
電車が止まったり自宅に帰らざるを得なくなったり
いつも縛られている様々なルールとは別の次元の
「自然の力」で自分の行動に規制がかかると
具体的に自分の身動きひとつに影響するもんだから
”ぼくらはやっぱり生きている”っていう
身体性を呼び起こしてくれるっていうか。
実際、人間がここ数年で作り出したバレンタインという祝祭も
雪の前では話題性を失っていたように思うし(ぼくだけかな・・・)
SNS上でもみな、どこか雪を喜んでいるような投稿が多かった。

「新・幸福論」にもあったけれど

新幸福論

ぼくらがどことなく不安になったりするその原因は
なんでもいい、家族とか、自然とか、国家とか
そういうものとの”関係”が喪失しているからであって
ある意味、雪が感じさせてくれている「何か」ってのは
皮肉にも震災がそうであったように、自然との”関係”なのかなと思った。
だから、雪が降るとどことなく潜在的なシアワセ感が連想されて
そんなことかつてしたことない、シアワセの象徴的な画で言うところの
おうちで暖かいストーブを前に毛布にくるまってシチューとか飲みたくなる。

先日、ぼくが敬愛するノンフィクション好きの先輩と談話しながら
権力だとか、革命だとか、一体いまの世の中の空気を一変させるのは
いったいどんなキッカケなんだろう、という話をしていた。
ナポレオンやジャンヌダルクみたいなヒロイックな存在待望論もあるよねとか
日本の歴史を少し振り返ってみれば坂本龍馬や織田信長みたいな
名も無き個人が一世を掴もうと台頭したよね、とか
でもそんな人たちも哀れな最期を遂げたよね、とか。

なんか色々考えていたら、やっぱりこういう自然現象こそが
人間のシアワセな姿を思い起こさせてくれるんだろうなと思ったのです。

そんなことを思っていたら、
やっぱり震災という自然現象が教えてくれたことの意味は
本当に大きいんだなと、改めて思うのでした。

と、最後は雪から震災まで想いを巡らせてしまった。
雪の日に感じたことの記録。

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