◇ ネットと愛国 ◇


ようやく少しずつ夜の蒸し暑さから逃れられそうな、そんな8月の終わりである。
8月に街を歩いていて道ばたでやたら目にするのはセミの死骸で
それを観ていつも思い出すのは、たしか14年くらい冬眠した後
羽化してから2週間くらいしか生きられないセミの話である。

あんなにミンミンギャンギャン何を鳴いているんだろうとか
たぶん誰かと交尾したいだけなのかなとか、そんなことを思う一方で
刹那を生きるセミのがむしゃらさに頭が上がらないのであった。

この夏はそんなセミがたぶん一番鳴いていたであろう8月の中旬、
それも敢えて意を決して8月15日という日に、靖国神社に足を運んでみた。
というのも、ここのところ友人等と、右翼だ左翼だとか、それから
ダイバーシティだ多様性だ、とかとか、そこから派生する映画とか音楽とか演劇とか
実際に新大久保の街でフィールドワークしてみたりだとか
そんな話をたくさんしていたもんで、こいつはいよいよ生で自分の目と肌で
日本国のその日のヤスクニは一体どんな空気を帯びているのか、感じようと思ったのだった。

ぼくのような背景を持っていると、そんな日にあそこに行ったら
「すごく胸クソ悪くなるかもよ」との忠告ももらいつつ足を運んだ靖国神社、
この夏の蒸し暑さに畳み掛けてヒトヒトヒト、正直驚いた。
物議を醸す閣僚の靖国参拝問題のイメージに引っ張られていたぼくなわけだが
こんなにも一般の方の参拝で大行列ができる画は、想像していなかったのだった。

靖国に足を運んだことも貴重な経験になったけれど
どちらかと言えば知人から課題図書で薦められたこちら


を読みながら、今の世の中の若い人?が抱える社会に対するドン詰まり感が
対在日/韓国の文脈に現れた事例としてのヘイトスピーチとかの現象についてなんだか問題意識を高めた。

いくつか感じたこと。

ひとつ。
企業のマーケティングに神話的な力がなくなってきているから
きっと政治/社会性を帯びた活動とかに、ぐっと引き寄せられる人たちがいるんじゃないかなと思っている。
もうちょっと政治が腐敗したら、新しいロックスターが生まれるんじゃないとか思っていたけど
最近はちょっとまた経済が上向き感があるせいか、引き続きユルユル行くんだろうか。

ふたつ。
いずれにしても、迷走が長らく続いている時代を生きているような自負があるぼくは
「やっぱ人間だし、こうやって生きて生きたいよね」ってなメッセージを
与えられるようなシゴトがしたいなと、そんなことを確認したのでした。

みっつ。
社会をちょっとでもポジティブに向かせようとする人たちと
他者を攻撃することに力を注ぐ排外主義者と
同じ若い世代の中で起きているこのコントラストがすごく皮肉だと思った。

よっつ。
「エリート左翼」的な批判のコトバについては
ふんふん、とは思うけれども。
大概、弱い自分を守るために他者を攻撃するのはイケていない、
というヒトコトでみんなピースになればよいと思うのでした。

いつつ。
ともかく。端くれ市民ジャーナリストとして引き続き勉強して
小さなアクションでも積み重ねて行こうと思った夏だったのでした。

最後に。
それこそ、夏をにぎわしてくれたセミの最期の姿というのは
仰向けに道路でゴロリ、というあっけない姿なワケで
風物詩として活躍してくれたセミらのために
夏の終わりに大きな鎮魂祭のひとつやふたつしてあげてもよさそうだ。

2 Comments

  1. 南宮湖

    みっつ。
    社会をちょっとでもポジティブに向かせようとする人たちと
    他者を攻撃することに力を注ぐ排外主義者と
    同じ若い世代の中で起きているこのコントラストがすごく皮肉だと思った。

    このコントラストって、自分自身の中にあるコントラストなんじゃないかなと最近強く思うようになってきています。そういう個人個人のコントラストの総和が社会の大きなコントラストを造っていくのかもしれない。

  2. Sungwon

    ホウさん、遅れてしまいました。だけど、本当にホウさんのコトバが響いた。
    社会の総和としての対立構造って、本当にいつも自分の中に同じ構図が存在するなって思う。そういう自分が、そういう社会を作っているんじゃないかな、とも思う。そのコントラストの濃さとか薄さを、コントロールするのも違うかなとも思う。コントラストがある中で、本当は両者ともにどうしたい?ってことを、自分に対しても、社会に対しても堂々と問える力が、大切になってくるんだと、思う。

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