‡記録 ‡vol.29

カタカナ”ソーシャル”の誤謬について。

社会ということばをカタカナで示しただけで
かなり意味がボヤっとして、捉え方次第によっては
”社会にいいことしましょう”みたいな浅い理解で
解釈を留めてしまう現象をたくさん見てきた気がする。
だから、なめられる。

ぼく自身もそこに対してなかなか解を見いだせなくて
ソーシャルメディア、社会貢献、社会起業、、、、
踊るコトバ達に右往左往していているモノゴトをたくさん見てきたけれど。

最近想うことは、ただひとこと。

”いかにして市民レベルの運動を広げていくか”

自分の立場を重ねて言えば
”広告会社の人間として、いかに市民レベルの運動を広く告げていくか”
そこに何かがある気がするのでした。

時代の隆盛を考えれば、時としてその市民レベルのテーマは
何かに対するアンチテーゼの場合もあるかもしれない。
”反対”のメッセージを含んだ市民運動にも
広告会社は必ず何かできるはずだし、
そこに関与することで変革の先導を歩める気がしてきた。

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