◇ 映画術 ◇

ひとつ。

かつて「名前をつけてやる」というスピッツのアルバムがありました。
なんだか強引な日本語だなと思いましたがどことなく記憶に残るフレーズだなと思いました。

さて、ここのところ人生の先輩たちとのシゴトの中で貴重な経験をさせてもらっているのですが
ぼくがかねてから恋こがれていては携帯の待受画面にまでしている
ドワネル少年から無断で名前を拝借致しまして  ※ こちら 

ジャン=ピエール・キム(略称:JPK まるでかの米国大統領かのよう)という
なんとも身に余るあだ名を付けて頂いたでございます。
人間は恐らく様々なコミュニティの中で多少なりとも異なる自分というものを
その場その場で表現しながら生きているのではと思うのですが
「愛称」とはまさによく言ったもので、どことなく自身の本名で呼ばれるよりも
自分の中にある何かしらの要素をもじって
別の角度からその人との距離を近づけてもらっているような
(愛を込めてとまではいきませんが人間としての気持ちを添えて)
そんな錯覚を覚えさせるものなのだなと感じます。

生まれてこのかた「キム」というありふれた韓国人の名字と
「ソンウォン」という日本人からすればなんとも覚えづらい名前を持つぼくとしては
ジャンとかピエールとかの世界観に心が高ぶってしまうのでした。

愛称をつけてもらえるような要素を多分に自分の中に持っていたいものだ、
それから、愛称をつけてあげられるような愛(これだとちょっと重いので気持ち、、)を
対人関係において十分に持っていたいものだと、そんなことを思いましたです。

ふたつ。

愛称をつけてもらった分際でヌーヴェルヴァーグを知ったような気になってはいけないと思い、
この夏新宿で「ふたりのヌーヴェルヴァーグ」を鑑賞した勢いにのり
先輩からこれを読まずしてトリュフォーは語れないと叱責頂いたこちら

をようやく読了。こんなに分厚い本、久々に読みましたです。
いわゆるサスペンスの作品とはこれまで縁がなかったのですが
「鳥」「北北西に進路をとれ」「めまい」を続けて鑑賞。
ついで、上記「映画術」の中でヒッチコックが「サスペンスとサプライズの違い」について
語っているパートがあるのですが、その辺を読みながらフンフンと頷きつつも
どう考えても「鳥」のあの描写は「サプライズ」でしかないような気がするなぁと
そんなくだらないことが頭をよぎったでございます。

みっつ。

休日の過ごし方と言えば上述のように映画を見たり時たま本を読んだり
とは言え大半は相も変わらず飲み過ぎた自分への後悔の念と戦いながらまたしても眠る、、
という20代ダメ男の負のスパイラルに一人ではまっていることが多いのですが
昨今は都会の喧噪を離れて山へ行くのも良いものだなぁと痛感しています。
口数が多いぼくはついつい人間との対話に居心地の良さを感じては
対話のツールであるアルコール摂取量すらコントロールできず自爆してしまうので
自然との対話を通じては己の小ささを実感し心洗われる時間が重要なのだと思います。
ともかく、インドや中国を旅している時の感覚にも似ています。
自分の力では到底太刀打ちできないと感じさせる大きな力と向きあって
初心に戻る時間が大切なのだと思います。

天空に上れば上る程広がる景色はシンプルでありながらその色は果てしなく濃く
しまいには太陽の下でまるで海を思わせるような深い青と白だけの世界が広がっていました。

2011.9.23 北八ヶ岳・大岳

よっつ。

10月になりました。2011の秋です。
引き続き一つ一つの階段を丁寧にのぼっていきます。

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