◇ いま、目の前で起きていることの意味について & The Places We Live ◇

よっしゃ、連休スペシャルでちょっとムズカしいやつ行ってみよかぁー。

結論から言うと、ムズカしいこと考えても
つべこべ言わず日々目の前にあるものから片付けるいうことやな。ばちこい。
だけど、、、、
こんなタイトルの書き物でもう6年ほど続けちゃってるんで
ちょっとだけつべこべ言います。堪忍。

ひとつ。
コンセプトを打ち立てる事の意味って何だ。
お偉い学者先生が説いた考え方に
ぼくみたいなちっぽけな人間が共感したとき
どうやってそいつを日々の日常の中に組み込んでいったらいいんだ。

以下、引用。
  人間の歴史は流浪とともに始まるのであり、
  人間が世界を見出したのは動く事、流浪する事によってである。
  ー 中略 ー
  ノマドであると同時に定住者でもあるというこの二元性、
  歴史の初めからあるこの対立の克服、旅への切望を失わないこの定住生活は、
  グローバル化した世界を人間が生き抜くただ一つの方法だと私には思われる。

ふたつ。
震災に関する報道に対して、海外のメディアを見ていて思った事。
報道写真が切り取る世界は、そのいま-ここ的なリアリティを
ドラマチックに描写して、人々にそのニュース性を色濃く印象づける。
報道のモラルをラインクロスしないように、ただ人の心を突き動かすような
そんなギリギリの線引きの中でアウトプットされる写真たちをたくさん見た。
色々文句言う人もいるけれど、自分が直接触れる事の出来ない世界を
写真ってメディアがここぞとまでにリアルに感じさせてくれる。
ぼくはこの連休に、被災地に広がる光景を目の当たりにした時、そう感じた。

みっつ。
とにかく、いろんな人がいろんな場所で生きてるわけで。
入り込もうにも入り込みきれない現実があるわけで。
だけど、メディアを通じて極限までその世界観に近づく事で
人は自分の生を見つめ直し、問い直し生きていけるわけで。
ぼくらの目の機能が、文明や技術の力を借りて発展した「カメラ」という
機械を介して表現された視野こそ、写真が切り取る世界なわけで。
家に帰って、大切な人にプレゼントされた写真集を見ながら
連休の終わりの日に、そんなこと思ったである。

The Places We Live by Jonas Bendiksen

よっつ。
せっかくこんなにひとりひとりが表現をするメディアが増えた時代だ。
もっともっと表現をたくさん喰らって。
そんでもって自分でも表現して。
そうしないと、損やなこれ。

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