思考の経験。螺旋の記録。

Sungwon Kim 金聖源

◇ ちょっとピンぼけ ◇

この邦訳タイトルでGOした編集者に敬意を払いつつも
英題の Slightly out of Focus というフレーズが
読み終わった後になんだかジワジワ気に入り始めています。

敬う先輩から課題図書として薦めてもらったんですが
こんなにものめり込んで読んだのも久々というくらいに
戦場のスリルと恋のロマンスの描写に完全ノックアウトされました。

たぶんあれは小学3,4年生頃の夏休み、家族でソウルに帰省し
母方の実家で亡き祖父の話をした時だったと思う。
新聞社の写真部で記者を勤めていた祖父の話をしながら
祖母が朝鮮戦争の時代のモノクロの写真を
幼いぼくに見せてくれたことを鮮明に覚えている。
血が流れているホンモノの写真なんて
映画だとかの世界でしか見たことがなかったから
そりゃとにかくびっくりしたんだけど、幼心に
「爺ちゃんは”戦争”てモンを前に生死の瀬戸際で仕事してたんだ!!」
っていうスリルとか、男らしさとか、ともかく
多くの男の子が感じたことがあるあの戦場カメラマンへの
”カッコいいなぁ”て感情を強く抱いたことがきっかけで
ぼくはその後の人生でMAGNUMの写真集を数冊買って
「世界ではこんなことが起きちゃってんのか!!」て感じながら
なかなか眠れない夜を過ごした青年期があったものでした。

ぼくがこの本を読みながら何が楽しかったかって
ともかくキャパの生き方そのものなんだけど。

それとは別に、フォトジャーナリストとか写真記者に
今求めらていれることってなんなんだろうって、考えを巡らせてみた。
当時は”そこにいる力”というか、誰よりも早くその瞬間を切り取ることで
誰も見えなかった世界を写真機で見えるモノに変えるところに
価値が生まれていたんだろうけど
今はなんだか、情報に溢れているからなぁ。
みんながみんな、記者になりえる世界のようでもあるし。

よく言われることだけど、こんな写真やらテキストやら
インスタントな情報に溢れる世界で必要になるのは
断片的な情報を紡ぎ合わせて広い意味で”編集”する力、とか
物語を紡ぐ力なのかなぁ、なんてことを思いました。

ところで活字が苦手なぼくにとっては
普段の何気ない会話の中で敬う人や好きな人から
課題図書を薦めてもらうということがとっても有り難い。
映画と音楽に関しては自分でも進んで
色々新しい世界を切り開く気になるんだけど
如何せんこの人生で活字を避けてきたせいで
そもそも土地勘すらないのだ。
どっち方面を読みたいんですとか
そういうのすら、よくわかんなかったりするほどなのだ。

東京にいながらもこうして本を読んだり映画を見たり
音楽を聴いたりして旅を続けましょう。えっさえっさ。

『小話』” テソーミ “

しつこいようですが、人生初の手相観(テソーミ)を終え、温かいお風呂に浸かって占い師さんのコトバを思い出しながら小生、心がほっこりしている最中でございます。

なんでイチイチこんなに盛り上がってるかって言うと、ワタクシ生まれてこの方、そういうモンを避けてきたんでゴザンす。ハイ。

というわけで、「ハイ、新しい世界が開けました!」なんて本気で言うつもりは毛頭ございませんが、なんかこう、占いってーのは「何かを、開きたいんです!」てな人の心の楔をほどいてくれる、背中をチョンって押してくれる、そんなもんなのかなぁ、なんて思ったのでありました。

いやいやー、ほんとに楽しかった。ハマらないようにしよう。笑

ところで。

ちょっと手相に関するぼくの母に関する小話を一つ、記録。

母に予め「手相観てもらうんだぜ今度」って言ってたもんだから早速ぼくが観てもらった後に電話がかかってきた。

「どうだったの〜」なんて半分冷やかし半分でぼくの話を聞きながら、これまたほっこりする昔話をひとつ披露してくれました。

ぼくがまだ幼稚園の頃、仲の良かった隣近所の家族と一緒に那須高原にイチゴ狩り旅行にでかけたそうな。

そこのお宿には、占い師さんがいることで有名なところで、夕食を座敷で食べながら、その占い師さんなるおばさんが席を回って手相やら話を聞きながら占いをしてくれる、そんな場所だったそうで。

ぼくの手と足を観たその占い師さんが「息子さんはは色んなところでよく走りますよ〜」と、でもって、ぼくの姉のことは「娘さんは早く親元を離れますよ〜」と、コメント残したそうで。

フタを開けてみれば、まぁ見事に息子はそれなりに運動馬鹿で旅好きで落ち着きなく走り回り、姉もまた見事に早々と結婚しては二人目のコドモを授かっているわけで。母としては、この度の息子の「手相観んだぜ」の一言からそんな昔の話を思い出しちゃったわよん、不思議よね〜 とのことだったのでした。

でもって、肝心の母の手相はと言えば、手の相というよりも、手相を見せるときの手の出し方、まぁともかくシャキシャキした性格の母はその占い師の前でバーン!ピシャリ!と勢い溢れんばかりに手を突き出したらしく
「本当に、男らしい性格の持ち主ですねぇ。。。」
と、言われたことが、記憶に新しいとのことでした。笑

とにもかくにも、占いの内容がどうこうとか、そういうことじゃなくてきっとこうして人生の節目節目でこうしたコトバ達を振り返りながら、大好きな友人や家族たちと、懐かしさとともにそんな出来事を笑って味わえるのならば占いってヤツも、悪いもんじゃぁないなっ!って、思ったのでありました。チャンチャン。

#Travel →↓New Delhi, Coimbatore, Mumbai↑←

2012.3.25-31 Indiaの記録


より大きな地図で 2012.3.25 India取材 を表示

前夜の宴。先輩からの愛に溢れた送別のコトバ。
続けて親友と深夜の語らい。ほぼ徹夜。眠気眼で成田直行。
連日遅くまで続く練習。よって、酒気帯び。
疲れを抱えたままAIR INDIAチケットカウンター。
同行するカメラマン。脚立もってチケットカウンター。
むき出し。ワイルド。本物。
寒いカラダ。既に風邪気味。

インド。3年ぶり。7回目。

デリー。深夜のストリート。牛。ホーリー。裸足のこども。
変わらぬ人並み。人波。土ぼこり。砂煙。クラクション連打。
ホーンの多様な音色。光り乱れる車のライト。
ざわめき。リキシャー。白熱灯とネオンの共演。異様な明るさ。
インディアンイングリッシュ。優しさと怪しさ。インド。
パハールガンジ。タイムボカン。時が止まる。
西洋人のエゴで作られたインド体験スペース。の、イメージ。

デリー2時間仮眠。眠い。まだ寒い。風邪気味。外気25度。
顔を洗わず外に出かける感覚。野生”ぽさ”への憧れ。
27歳、もうそういうの、かっこわるいので顔洗う。

南下。南下。南下。

コインバートル。タミルナドゥ第二の都市。
目立った産業、無し。どんなガイドブックにも記述、無し。
南のスロー。ゆとり。笑顔。その全ての柔らかさと、強い日差しのコントラスト。
タクシーの運転手、ナグラージ。40歳。
よれたシャツ。色あせたスラックス。汚れたサンダル。なぜか甘いマスク。
ドラヴィダ系。こいつはワイルド。”ぽさ”じゃない、これが本物。

地方都市。日本と同じ。海外旅行での感動に誤謬発見。
”海外だから”は関係ない。都市 or not 都市。これが重要。
こいつらが、人の生き方により強く影響。

コインバートルの街並。色鮮やかなサリー。黒い肌。
タミル語の丸みを帯びたフォント。壁の落書き。
色づかい。ピンク。緑。オレンジ。原色。
連なる商店。無限大!よろずが揃う。
軒をはみ出る商品たち。陳列の不規則性。
こいつもワイルド。”ぽさ”じゃない、これが本物。

バイク。バイク。車。バイク。時々、牛。
二ケツ。女性の二ケツ。横座り。たまらん。
決して股がらない。横を向いて、座る。最高におくゆかし。
きょとん座りで発進ドライブ。ぼくのフェティッシュ鷲掴み。

現地の大学生。訛の強い英語。推測バトル。
ゴーサム。20歳。専攻、エンジニアリング。
スリラム。20歳。専攻、エンジニアリング。
スリバダン。20歳。専攻、エンジニアリング。
寄せる日本への関心。傾聴。
熱い街で感じる熱い若気のインディアンスピリッツ。

おばちゃんの注ぐチャイ。糖分100%。
性格しつこい。甘さもしつこい。愛がはみ出てる。
(これ、旅人によくありがちな勘違い。)

一連の取材。3日間。スチール、ムービー、勉強勉強。
同行したチームに敬意。

ところで。風邪、悪化。発熱。旅熱。毎度のこと。
止まらぬ汗。朦朧。帰国準備。

北上。北上。北上。

ムンバイ。都市。大都市。嗚呼、ほんとに果てしない。

否が応でも感じる経済成長の勢い。大きな流れ。
道路、ビル、自動車、電車。
社会が大きな一つの方向に向かってるカンジ。
ぼくらの世代が知りえないその感覚@現代日本。
一方で、すれ違う人、人、人。生きる姿。
どれ一つ同じことは無いはずの。多様。多様。多様。
多様な一つ一つの人生。社会は何に収束しようとしてる。

帰路。再度、AIR INDIA。
機内食。となりの日本人女性2人組の発言。
「まじかよ、またカレーかよ」。
イヤホンから漏れる浜崎あゆみ。アンビバレンス。
女性の「まじかよ」はほんと苦手。ご苦労。

3月最終日。ぎりぎりまで移動。
プライベート、移動。仕事、異動。
先天的に、移動型人生!ゲルをください!
4月初日。6年目。心機一転。まだまだ流れる。漂う。
一点一点集中。連続性、振り返って紡ぐ。
流れれば流れるほどに、強くなる軸。
邁進。邁進。邁進。

写真。フィルムは帰ったら即、現像。

『小話』” コーズマーケティングに端を発するぼくの二元的モノの見方に関する考察 “

コーズマーケティングなるものにここ数年関わっていたわけですが
そろそろそれが終わりに近づいてきましたので一度ここで記録。

コーズマーケティングについて説明する図を書いて、見て、提案して、
人と話して、実践して行く中でたくさんの気づきを得られました。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

ひとつ。
” 人はモノゴトを二つに分けて考えがち ” について。

二元的にモノゴトを捉えようとするのはきっと人間の性で
善/悪、損/得、美しい/汚い etc,,,
世の中、そんな風なモノゴトの捉え方が溢れている。
対立する関係性を生み出した方が、自分のエネルギーの向かう先を
決めやすくなって、考えがシンプルになるからだと思う。

ただ、何事も二つを分つのもの間にはニーズとエネルギーがある。
コーズマーケティングもほかでもなく、
対立する二つを結びつけようとするところに間違いなく何かがあった。

ふたつ。
” 完全なバランスは成立し得ない ” について。

どうやったって、完全な中立はない。
絶え間なくそのふたつの考え方の間を
連続的に動いていて、時間の流れとともに
その”運動”を客観的にとらえると、
あたかも”中立”的だったかのように見えるだけであって
その瞬間瞬間に、完全にバランスがとれた中立は、ない。

CSRセクションとマーケティング(事業)セクションの話し合いは
そのMTGごとにはうまい着地点を見つけられないモンである。

みっつ。
” 人は結局、どちらか一つの立場しかとれない ” について。

悲しいことに
「じゃあお前はどっちの味方なんだよ」とか
「結局おまえは何が言いたいねん」とか
「すっぽんぽんになったらおまえはあすこに凸ってるから男だろ」とか
突き詰めて突き詰めて考えると人のアイデンティティというのは
対立する二つの概念をカバーすることができない。

ボランティア精神からいわゆる”ソーシャル”領域に関わる人間と
新しいビジネスをつくるために”ソーシャル”領域に関わる人間とが、いる。
なかなか、両方をカバーしている人には出会ったことが無い。

よっつ。
” 太極図は、やっぱりすごい ” について。

しつこいけれど、太極図はやっぱりすごい。
二つの概念が絶妙に入り組んでいる印象をぱっと与えられる。
二つが牽制し合うのではなく、互いにうまく融合していくべきだと
その循環する感じが自然と伝わってくる。
相手の中に自分がいて、自分の中に相手がいる。

とは言え、この太極図でも2Dで限界がある。
コトバや文字もそうだけど、”図”も不完全である。何も、説明し切れやしない。
プレゼンテーションとは、資料をつくることではなく、もっと立体的なものである。

最後に。
行き着く先は、”男女”でした。マジです。

ぼくたちが二元的なものの見方をする原因は
まぎれも無く最小単位の凹凸である”男女”という存在にある。
フランス語の男性名詞とか女性名詞とか、もうその最たる例である。
クロードルルーシュの映画「男と女」でも見直して

やっぱり男女間の問題解決の実践からやり直すしかないか。
その方が、フレームから考えるより実践的で意味がありそうである。

という、ここ3年ほどシゴトでコーズマーケティングに関わってきたことを通して
二元的にモノゴトをとらえることについて考えたぼくの脳内の記録。要した時間:30分。

‡記録 ‡vol.28


また螺旋について考えているんだけど
このAとBが全然わからないのです。
そもそも軸の取り方がおかしいのかな。